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クリスタル映像株式会社は、日本のアダルトビデオメーカー。 本社は東京都豊島区西池袋4-23-11。 == 沿革 == ビニ本出版社「アド企画」や、アダルトビデオメーカー「三和プロモーション」を経営していた西村忠治が、摘発で解体された裏本チェーン「北大神田書店グループ」の総帥・草野博美を制作監督に迎え1984年10月に創業。草野は西村社長の処遇に恩義を感じ、創業とともに「西村」より名を借りて「村西とおる」を名乗るようになった。クリスタル映像としての第一回リリース作品は「私、犯されました。新幹線の中で…絵梨花20歳」(1984年10月5日発売)。 初期においては宇宙企画やビップといった先行メーカーに作品の水準、売れ行きともに大きく水を空けられていた。村西の著書『ナイスですね』(1987年)によれば、当初志向していたドラマ路線の作品的・営業的な行き詰まりから、1985年にドキュメンタリー風の本番路線に転換。その結果、ソフトなカラミが主体だった他社作品との差別化に成功し、業績も大きく改善したことから、「完全本番主義」をレーベルカラーとして強くアピールするようになった。また同時期に、当時のAVでは珍しかった顔面射精を「顔面シャワー」と称して多くの作品に導入したことも反響を呼び、同社への注目度はこの時期飛躍的に高まった。 1986年6月、村西とおるが無許可のモデル事務所から17歳のモデルの派遣を受け、AVに出演させたとして職業安定法・児童福祉法違反容疑で逮捕。以後も村西が同社を離れるまで当局による摘発が相次ぐが、却って「クリスタル映像は過激らしい」という同社に対する認知度を高める結果となった。 1986年10月、村西の制作になる黒木香『SMぽいの好き』がリリースされる。当時横浜国立大学在学中だった黒木香が知的なお嬢様口調を駆使しつつ、村西との動物的とも言える過激な性行為を披露した本作は、多くの文化人が絶賛するなど大反響を呼んだ。村西と黒木はテレビ、雑誌などのメディアに引っ張りだこになり、「ナイスですね~」といった村西独得の話法も大いに話題になった。「村西とおるが所属するビデオ会社」として、クリスタル映像の名も一般レベルで広く知られるようになる。 村西とクリスタル映像の蜜月時代は、1988年、村西が自身のアダルトビデオ会社であるダイヤモンド映像を設立し、独立したことで終焉を迎えた。制作基盤を失ったクリスタル映像は、同時期に制作活動を停止したWAKO(AV問屋最大手・アイ信のレーベル)の制作陣を迎え、新たなブランドイメージ確立を目指すが、看板だった村西を失った打撃は大きく、決定的なヒット作にも欠けたため、次第に業績が低迷していった。 この窮地を救ったのが、1992年から翌年にかけてAV女優として活動した飯島愛だった。人気絶頂にあった彼女のレンタルAV作品のうち、およそ半数をクリスタル映像が制作、業績回復のきっかけとなった。社長の西村も後年のインタビューで、飯島愛がこの時期、同社の生命線となっていたことを述懐している。 1990年代中盤以降は、青沼ちあさ、涼木もも香、森村ハニー、加護あいり、青山菜々といった各年代における人気女優を集中的にキャスティングし、単体作品において堅実なリリースを続ける一方、1990年前後から本腰を入れ始めた企画もののジャンルにおいても、『FUCK FUCK FUCK』シリーズ、『スーパーGスポット』シリーズなど数多くの人気シリーズを生み出してきた。近年はインターネットにおけるブロードバンド配信にも、積極的な取り組みを見せている。 2005年、創業以来加入してきたビデ倫を脱退、日本映像ソフト制作・販売倫理機構(制販倫)を自ら立ち上げ、業界に衝撃を与えた。制販倫の設立当初はほかに加盟メーカーはなかったが、のちにケイ・エム・プロデュース(KMP)などが加盟している。 関連会社に有限会社シー・ツー・コーポレーション(前身はコンフィデンス・社長は西村忠治が兼任)がある。かつては海外ポルノを扱うハリウッド・ホームビデオ・ジャパンという関連会社もあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリスタル映像」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Crystal-Eizou 」があります。 スポンサード リンク
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